東京地方裁判所 昭和57年(ヒ)392号 決定 1983年2月10日
申請人 野村栄樹
右同 野村京子
被申請人 科研製薬株式会社
右代表者代表取締役 沢啓祥
右代理人弁護士 石川常昌
主文
別紙目録記載の株式三三〇〇株の買取価格を一株につき金一八六一円と定める。
理由
一 申請人両名(以下単に「申請人」という。)は、別紙目録記載の株式(以下「本件株式」という。)の買取価格の決定を求める旨申し立てた。その理由の要旨は、
「1 申請人は、本件株式を保有しているところ、昭和五七年六月二九日開催された被申請人(合併前の商号は科研化学株式会社と称した。)の株主総会において科研薬化工株式会社との合併契約書(合併比率一対一)につき承認する旨決議がなされたが、申請人は右合併に反対だったので、右総会に先だち被申請人に対し、書面をもって合併に反対する旨意思表示し、かつ総会において、右合併契約書の承認に反対した。
2 そして、申請人は、右決議の日から二〇日以内の同年七月八日被申請人に到達の書面で、同会社に対し、申請人保有の本件株式を買取るべき旨の意思表示をし、その後同会社と買取価格につき協議したが、申請人が一株につき二六二〇円(合併に関する新聞発表の前々日の終値)を申出たのに、被申請人は一三五三円(後に一七二七円とした。)を主張して譲らず、結局決議の日から六〇日以内に協議が整わなかった。
3 よって、申請人は、商法四〇八条ノ三第二項、二四五条ノ三第三項の規定にもとづき、本件株式の買取価格の決定を求めるものであるが、その算定根拠は、①本件株式は、東京証券取引所第一部に上場された市場株式であり、右買取価格もその市場のメカニズムを通して形成される株価(市場価格)を基準とすべきである、②商法四〇八条ノ三第一項の「承認ノ決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格」とは合併決議の影響をうける前の価格と考えられるところ、被申請人代表者は右決議に先だち正式に新聞発表をしたのであるから、右発表直前の昭和五七年四月二〇日の東京証券取引所の後場終値とするのが一番公正な価格と思料する」というのである。
二 これに対し、被申請人は、①右「公正ナ価格」とはその企業がもっている株式の実質的価値をいうべきであり、企業実績にもとづく企業価値の反映というべきところ、申請人主張の市場価格は、投機的要因(本件株式に関してはベンズ・アルデヒド等の制がん剤の研究開発に関する長年の思惑買い)を含んだものであるから、この分を除かなければ「公正ナ価格」とはいえない。②従って申請人主張の特定の一時点のみをとらえた市場価格だけでは「公正ナ価格」とはいえず、すくなくとも一定期間の市場価格の平均価格をもって有力な基準の一つとすべきである。③従って右の二点を考慮し、まず、一定期間の市場価格の単純平均価格(一株あたり一八六一円)を算出し、これを二倍に加重した数値に、前記の如く被申請人の企業実態を反映さすため「国税庁長官通達直資五六・直審(資)一七昭和三九年四月二五日付相続税財産評価に関する基本通達」にもとづく非上場株式の価格の算定方式(類似業種比準方式)によって得られた評価額(三三八円。なお算定方法は別紙のとおり)を加えて、その合計額を平均して算出したものが最も公正な価格だと思料する。」と反論した。
よって判断するに、本件各資料によれば、申請人主張の(一)(二)の各事実を認めることができるし、また、本件申請が商法四〇八条ノ三第二項、二四五条ノ三第三項所定の期間を遵守していることも記録上明らかである。
そこで、買取請求の効果の生じている本件株式について、以下その買取価格を検討する。
株主が、合併契約書の承認に反対し、買取請求した場合の株価の決定基準については、商法四〇八条ノ三第一項に「承認ノ決議ナカリセバ其ノ有スベカリシ公正ナル価格ヲ以テ買取ルベキ」と規定するのみで、株価決定の基準時点をいつにするのか、又公正ナル価格とは、株式のもつ交換価格(取引価格)を会社において株主に保障するものなのか、株式の実質的価値(企業価値)のみを保障するにすぎないのかいずれも明白でない。そこで右条文を解釈するに、右規定は、一方において合併賛成の多数株主による合併手続の早急なる遂行を認めるとともに、他方反対株主にも買取請求権を認めることによって、少数株主となった右株主に、投下資本の回収を図らせ、経済的損失を免れさせる道を開いたものと解される。この意味では、右の制度は、株主に株式のもつ交換価格(取引価格)を保障した制度であるといえる。しかしながら、右買取制度は、その実質的側面をみると株式会社においては本来株主に退社を認めないのに、例外的に退社を認めたものであり、会社にとっても買取の結果商法二一〇条四号の自己株式の取得により金員の払戻を伴う側面をもつこととなる。従って会社としては、その名のもとであっても資本維持、充実の原則は侵しえないのであるから、株式のもつ実質的価値(企業価値)以上の投機的要因によって形成された価格部分を株主に払戻すことはできない。そうすると、同法四〇八条ノ三所定の公正ナル価格とは結局企業のもつ実質的な価値と同義と解するのが相当であり、しかもそれは買取請求によって売買の効果が生じた日つまり、買取請求の意思表示の到達した日(本件では昭和五七年七月八日)の株式の有すべかりし企業価値ということになる。
ところで、株式のもつ企業価値の具体的算定方法については、従来からある配当還元法、収益還元法、純資産価格法及び類似業種比準方式等が存するが、本件資料によると本件株式は東京証券取引所第一部上場の銘柄であることが認められるのであるから、右の方式によらずに市場によって形成された市場価格によるのが最適と解される。なんとなれば、市場価格は多数の売手と買手とが株式のもつ価値を考慮にいれて取引を行い、価格を形成したものであるから、株式のもつ実質的な企業価値を自然に株価に投影させ、最も信頼できるものといってよいと思うからである。
しかるに、この点に関し被申請人は、本件株式は仕手によって投機の対象とされてきた株式であるから、市場価格によるべきでないと主張するので検討するに、《証拠省略》によれば、本件株式はその株価の推移からみて、ベルズアルデヒド等の新制ガン剤開発及びこれに対する厚生省の薬事法の許可に関する思惑がからんで長年かつ時機的に仕手の対象となっていたことが認められること、又被申請人会社の社長沢啓祥は、合併承認の株主総会の開催に先だち、昭和五七年四月二二日に合併の相手方たる科研薬化工株式会社(第二部上場)の社長と会見し、同年六月二四日に株主総会を招集する旨を公式に新聞発表したことが認められ、その結果、その後の株価の急落に影響を与えた事情が窺えること以上の事情からすると、本件株式の市場価格は、右合併に関する記者会見によって、以後思惑的に影響を受けたと解されるばかりでなく、それ以前においても、仕手の投機的要因の影響を受けてきた株価ということができる。(条文上合併ノ決議ナカリセバとあり、決議を中心とした文言であるが、合併は通常社長同士の仮契約から出発するのが通例であるから、決議という文言にこだわるべきではなかろう。)そうであるから、本件に関しては、市場価格をもって「公正ナ価格」とはいえない。
そこで検討するに、市場価格から右の投機的或いは合併によって影響を受けた部分を適切に除去する合理的かつ確実な算定方法があるかを考えるに、市場価格が企業の実質的価値と投機的部分を不可分的に包含しているため、その完全なものの発見は困難である。そうとすれば市場価格のもつ前記の機能的側面からみて、市場価格を最大限に尊重すべく、従って一定期間における市場価格の平均価格をもって公正ナル価格というべきだろう。しかして被申請人はこの点に関し①合併発表前(昭和五七年四月二一日六月間の市場価格は一七一一円、②同三月間の平均価格は一九二〇円、③同一月間の平均価格は二二五〇円、④昭和五七年三月二六日の一割無償増資前六月間の平均価格は一五六四円(以上いずれも東京証券取引所の後場終値による四捨五入)といいその四者の合計額の単純平均価格は一八六一円(四捨五入)であると主張するところ、右資料によれば、右の事実が認められしかも右の算定方法は特段不合理な点もなく、かえって本件株式の価格算定には最も適切な算定方法と考えられるから、これをもって本件株式の一株あたりの公正ナ価格というべきである(なお、無償増資分修正済)。
ところで被申請人は、右の数値を更に修正して国税庁長官通達直資五六・直審(資)一七昭和三九年四月二五日付相続税財産評価に関する基本にもとづくいわゆる類似業種比準方式を主張し、《証拠省略》によって得られた数値を算入して得られた株価を一株あたり三三八円と主張し、さきに得られた価格と単純平均すべきだと主張するが、右類似業種比準方式は非上場株式を対象としたものであり、かつ、国税庁の徴税上の危険を排除する目的から考案されたものであるから、本件に関しては適切でなく(その得られた数値自体最近の市場株価と余りにも隔たりがあり、この点からみても適切でないことが指摘できよう。)採用しない。
以上の次第で、本件株式の価格は一株一八六一円と認めるを相当とし、これをもって本件株式の買取価格と定めることとする。
よって、主文のとおり決定する。
(裁判官 生田治郎)
<以下省略>